ヤングケアラーはなくすべきなのか?
はじめに
ある研究者が ”ヤングケアラーはなくすべき” と 言うような主張したところ、それはおかしいと批判されてしまいました。
その研究者の専門領域から見ても、「ヤングケアラーをなくそう」というのは、「虐待をなくそう」「いじめをなくそう」というような様々な課題と同様に ”社会として解決” を目指すべき分野であると考えられます(海外の事例を後述します)。しかし現状はどれもすぐには解決しないし、なくならないのですが、それでもなくすように目指すべき政策目標とであると考えられます。
さて、なぜ ”ヤングケアラーはなくすべき” が批判されたのでしょうか?これはマクロ政策として良くある有名なやり取りでもありますので、論述したいと思います。
課題を解決するというのはどういうことか?
社会には様々な課題があります。かつて狂犬病などがわが国でも発生し、助からない命がたくさんありました。過去の文献も見ても「野犬だー」と人々が逃げ回る様子が克明に記録されています。国家やWHOは「狂牛病の撲滅」を目指し、解決方法として該当動物への予防接種の奨励/義務化等をし、今のわが国ではその発生が抑えられ、その病による死者はほぼいなくなっています。課題を解決するというのは「社会的進歩」または「社会福祉の向上」と呼ぶことができますが、解決できることは素晴らしいことです。「ヤングケアラーをなくす」というのは、政策として因子分解するとしたら下記のようなことが想定されます。
”ヤングケアラーから解放される”
”ヤングケアラーであることをこどもの意思で拒否できる”
”ヤングケアラーにならないよう未然に防止する”
“ヤングケアラーをして失ったものが補償される”
・・・・
これらのような想定からそれぞれ施策が検討され、事前シミュレーション、KPI、効果測定・・・・など施策の評価をしていきます。このような施策を見ますと、課題を解決するというのは良いことですので、”ヤングケアラーをなくそう”というのは、私の学術領域で考えても、適切であると考えられます。しかしなぜ批判を受けたのでしょうか?
このあとは
・子どもたちがヤングケアラーから解放されてしまうと困るのは誰か?
・社会福祉の伝統芸能のルートにのるとどうなるか?
・学術/海外の知見はどうなのか?
・政府の失敗
・まとめとして:何が問題だったのか?
・参考文献
と続きます。よろしければ、ぜひサポートメンバーにご登録をお願いします。