桐生市の事例を通じて見る生活保護行政の課題と改革の方向性

群馬県桐生市における生活保護業務の不適切な対応が明らかになりました。このような問題はなぜ起こるのか、どのように検証すればよいのか?マクロ政策として皆さんと考えたいと思います。
和田一郎 2024.02.14
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桐生市で生活保護を受けている方に対して様々な制限等をするなどの不適切な運用がありました。本記事では、その方々に対しての謝罪等(ミクロの視点)ではなく、このようなことがないようにするにはどのような政策(マクロ)をすればいいのか考えていきます。

はじめに

群馬県桐生市における生活保護業務の不適切な対応が明らかになりました。具体的には、保護費の毎日分割支給、預かり金の問題、支給決定の遅延など、市民の生活を直接的に支える制度の運用において重要な問題が指摘されています。これらの問題に対し、桐生市は市長のコメントを通じて検証結果の報告と、第三者委員会の設置を発表しました(#1)(#2)。この事例から、公務員としての業務のあり方と福祉行政の改善に向けた課題を考察します。

第三者評価における心理的安全性

桐生市の事例は、生活保護制度の運用における複数の問題点を浮き彫りにしました。さて、私は、ある児童相談所の第三者評価機関の理事をして、日々各自治体を評価しています。この設立は、ある国の第三者評価についての検討会の委員だった方々が、日本でも評価できる機関を作ろうと集まったのが経緯です。第三者評価は様々な事故調査委員会等の知見を応用し、心理的安全性に基づく対話型の評価を目指しているところです。

第三者評価の視点から考えると、職員の調査への協力体制の重要性が示唆されます。私は児童相談所の第三者評価機関の理事としても、心理的安全性に基づく対話型の評価を目指しているのですが、その視点からも桐生市の評価を見ることが重要だと考えます。

原因の究明とシステムの改善

事故や問題が発生した際には、その原因を究明し、将来の再発を防止するための対策が必要です。この目的を達成するために、多くの場合、事故調査委員会が設立されます。そしてこれらの委員会は個人の失敗や誤り、エラーを追求しないシステムになっています。それは個人の失敗やエラーを追及するのではなく、システム全体の見直しと改善に重点を置くべきという理念としているからです。"チーズの穴モデル"(#3)を例にとると、事故や問題は複数の防御層が同時に失敗することで発生するとされています。したがって、非難から学習へと文化を変革し、システム全体の安全性と効率性の向上を目指すべきであり、そのための委員会です。

改革の方向性

桐生市の第三者委員会は、以下の三つの重点領域に注力する必要があります。まず、根本原因の特定を通じて、表面的な問題ではなく、背後にある深い問題を明らかにします。次に、個々のエラーや失敗を超えて、システム全体を見直すことで、より根本的な解決策を導き出します。最後に、予防的対策の推奨を行い、将来的なリスクを軽減します。これらの取り組みは、心理的安全性が担保された環境でのみ実現可能です。

そして心理的安全性に基づく、事故調査が個人の責任に焦点を当てないもう一つの理由は、将来の安全性への貢献です。個人のミスを特定し責任を問うことは、その個人に対する処罰や短期的な解決策に過ぎません。一方で、システムの問題を解決し、組織全体の手順やプロセスを改善することで、長期的な安全性の向上につながります。これは、全員が安全な環境で働くことができるようにするために不可欠です(注1)。よって、改革の方向性としては安全な環境の構築をして職員が働くことが、より良いケアにつながるという視点が重要となってきます。

この後は、桐生市の第三者委員会は何をすればいいのか筆者の視点参考文献等となります。よろしければ、ぜひサポートメンバーにご登録をお願いします。

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  • 桐生市の第三者委員会は何をすればいいのか?
  • 筆者の視点
  • 【参考文献等】

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