ACEsを経験した若者をマネタイズから守るために ー研究者が危惧すること
はじめに
先月、新書を上梓したところ、複数の教育関係者から大学の講義や大学院の輪読会で使用したいとのご連絡をいただきました。皆様の高い評価に感謝いたします。ゼミ等にお呼びいただければ、喜んでお伺いいたします。
折角の機会ですので、本書をXで取り上げてくださった方々とのやり取りを定期的に文章にしますが、今回はその第2弾です(5月からは巻末の通常投稿に戻る予定です)。
ご紹介するのは、立命館大学産業社会学部の石田賀奈子先生(児童福祉論)です。児童福祉領域でACEsの研究、特に社会的養護のACEs研究における第一人者です。新年度の講義でも本書を使用してくださるとのことで、「一般書の顔をした専門書」という評(石田先生a、2026/4/8)をいただきました。ありがたい限りです。
石田先生のXへの投稿の中で、特に印象に残ったものがあります。
「表紙は幼少期の辛い体験を例えたかのような「悲しい動物」にも見えますが、「私こそが当事者経験を乗り越えた支援者」と言って社会福祉の専門性を持たずに飛び込む人に待ったをかけるこの本にも見えます。」(石田先生b、2026/4/8)
「なお、この動物が「その論文、プロトコルはどうなってますか?」という和田先生に見えるという研究者もいるとかいないとか。」(石田先生c、2026/4/8)
最後は笑いを誘う投稿に見えますが、しかしこの一言には鋭い批判が込められています。「プロトコル」というのは、研究を適切に行うための手順・ルールのことです。「ちゃんとした手順を踏んでいますか?」という問いかけと言い換えてもいいと思います。本稿では、この問いを出発点として、ACEsが若者を利用したお金儲けの道具として使われることへの危惧をお伝えしたいと思います。
1. ACEsの評価・測定は「誰でもできる」という誤解
まず、初めての方のために、ACEsとは何かをご説明します。ACEsとは"Adverse Childhood Experiences"の略で、日本語では「小児期逆境体験」等と訳されます。子ども時代に経験した虐待・ネグレクト・家庭内の問題(親の離婚、家庭内暴力、親の依存症など)といった、心に負荷をかける出来事のことです。
1998年にアメリカの研究者Felittiらが発表した論文によって、子ども時代のこうした体験が、大人になってからの健康問題(心臓病・うつ病・依存症など)と強く関連することが明らかになりました(Felitti et al., 1998)。このACEsを測定するスケール(尺度)の基本形は、10項目のYes/No質問で構成されています。「子どものころ、親から体を叩かれたことがありますか」といった質問に答えていくだけで、ACEスコアが算出されます。
ここに落とし穴があります。「10個の質問に答えてもらうだけ」と聞くと、誰にでも簡単にできそうに思えます。しかし重要なのは、「なぜ聞くのか」「誰が聞くのか」「聞いた後どうするのか」という点です。Felittiらの研究は、カイザー・パーマネンテという大規模な医療機関を拠点とし、倫理審査委員会(IRB)の承認のもとで実施されました。調査で使用されたスケールの信頼性・妥当性は、そのような研究者コミュニティによる厳格な審査の上に成り立っています。10個の質問そのものは誰でも使えますが、それを適切に扱うための文脈と専門知識は、まったく別の話なのです。
2. 承認欲求が「聞く行為」をゆがめるとき
近年、ACEsの質問票を講演やセミナー、SNSで活用し、参加者の辛い体験を引き出すという事例が増えています。ここで考えてほしいのは、「これは誰のための行為か?」という問いです。本来、ACEsの評価・測定を通じたスクリーニングは、支援が必要な人を早期に発見し、適切な支援につなぐために行われます。
ところが、聴衆の共感や感動を集めること、あるいは自分の発信力を高めることを目的として他者の心の傷を引き出すことは、単に聞き手自身の承認欲求を満たす行為に過ぎません。
この後は
3. 歴史は繰り返す――フリーライター問題との相似
4. ACEs研究に不可欠な専門性
おわりに
参考資料
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