「子どもの権利」を語る前に ‐現場経験なき言論が子どもを傷つける理由
はじめに:茨の道を歩く子どもたち
精神科医の新装開店先生が2026年5月3日にnoteに投稿した「茨の道」という短編があります(*1)。非行少年の多くは虐待サバイバーであり、特に女子少年は性被害体験が多く、長きにわたって心を傷つけられているという現実を、豊富な臨床経験をもとに描いた作品です。
その中で、父親から性被害を受けた少女はこう語ります。
先生は、わたしに「どうして非行に走ったのか」と聞きました。みんな同じことを聞くんですよね。警察も、鑑別所の人も、弁護士さんも。どうして、って。まるでわたしが間違った分かれ道を選んだみたいに。でもわたしは、分かれ道なんてなかったと思ってます。あったのは一本道だけでした。片方は茨だらけで、もう片方は——崖でした。(*1)
この言葉は、子ども福祉の現場が抱える現実の重みを鮮やかに突いています。
私はこれに唸ってしまい、呼応して、
被害を訴えても「嘘つき」と言われ、社会的養護どころか保護にもつながらなかった子どもたちが確かに存在します。そして彼女らは、施設で生活している子どもたちを「自分たちよりはるかに恵まれている」と語ることがあります、と投稿しました。(*2)
その現実をどれほどの研究者が正面から受け止めているでしょうか。そういうことを見ないようにしていると受け止められても仕方がありません。
「子どもの権利」を語ることは、今日、珍しいことではありません。しかし茨の道を歩いてきた子どもたちの声に、私たちの「子どもの権利」論は本当に届いているでしょうか。本稿では、現場経験なき言論がなぜ有害であるかを、具体的な事例とともに論じます。
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- 1.法律さえ正しく伝わらない ‐調査報告書の致命的な誤り
- 2.「現場経験あり」の虚構-資格と経験は別物である
- 3.社会的養護をめぐる論争-深い議論と見えない問題
- 4.「子どもの権利」論が有害になるメカニズム
- おわりに:信頼できる専門家をどう見分けるか
- 参考資料
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