「期限切れパン」事件が映す、日本のソーシャルワークの転換点
今回の骨子は、まず運用として、目の前の困窮者のために、期限ぎりぎりの食料を渡してきた現場の判断があります。他方で、行政は公的手引き、食品衛生、生活保護制度、説明責任の中で動かなければなりません。この事件には、受給者の尊厳、職員の裁量、食品ロス、最低生活保障、そして報道が行政実務に与える影響が重なっています。
本稿では、誰か一人の責任を追及するのではなく、制度として何が足りなかったのかを考えます。福祉の問題を個人の善意や我慢に戻さず、検証可能な制度の問題として扱うことが、いま必要だと考えていることが理由です。それではどうぞ。
1. 一日過ぎたパン──何が起きたのか?
報道によりますと、経緯は次のようになります。仙台市はフードバンクと連携し、生活保護受給者に食料品を無償提供しています。太白区では今年5月25日、フードバンクから約10キロの食料品を受け取りました。本来はその日のうちに男性へ手渡す予定でしたが、男性の都合で翌26日の受け渡しとなり、食料の中には消費期限が5月25日までのパン10個が含まれていました。つまり、渡した時点で「一日切れ」になっていたのです。区の職員は消費期限が一日過ぎていることを説明し、男性は同意して持ち帰りました。翌27日、男性から「パンを食べた後、腹痛となった」と区へ連絡が入りました(1)。
市は当初「男性の同意を得て渡したものだ」としていましたが、報道後に「提供は不適切だった」と一転して認め、6月12日付で、消費・賞味期限が過ぎた食料は受給者に渡さず廃棄するよう全区に通知しました(2)。
ここで、見落とされがちな事実を三つ押さえておきたいと思います。
第一は、期限切れは受け取りが遅れたために生じたものであり、職員は期限切れを隠していないということです。当日に渡せていれば消費期限内だったのです。むしろ職員は、消費期限が一日過ぎていることをきちんと説明し、相手の同意を得たうえで渡しています。情報の非対称性はなく、リスク説明は果たされ、本人の了承の上で持ち帰られています。手続きだけを見れば、これはインフォームド・コンセントが成立した提供でした。
第二に、消費期限を一日過ぎたパンと腹痛との因果関係は立証されていません。食中毒が疑われるなら、本来は保健所へ届け出て調査し、原因を特定するのが一般的な段取りです。ところが本件はその手順を踏んでおらず、腹痛・下痢の原因がパンであると断定されたわけではありません。にもかかわらず、報道は「このパンを食べて腹痛になった」という因果の構図で伝えられました。これがわが国のメディアの致命的な点であり、感情論をベースにした記事しか書けないことです。
第三に、そのパンは食品衛生上、それほど危険なものだったのか、という点があります。食品製造業では、賞味期限・消費期限を設定する際、保存試験で安全性が確認された最大保管期間に、安全側に寄せるための「安全係数」を掛けて期限を定めます。食環境衛生研究所によれば、この係数はおおむね0.7〜0.9程度で運用されています(8)。つまり、表示された期限には、もともと一定の余裕が織り込まれています。問題のパンの写真はコンビニ・スーパー納入系の業務用のパンと見られ、この種の製品は安全係数が高く設定されている可能性が高いです(7)。一日の超過で直ちに発症するとは、科学的には考えにくいのです。
もちろん、だから何の問題もない、と言いたいのではありません。むしろ逆です。農林水産省の「フードバンク活動における食品の取扱い等に関する手引き」(3)は、
”消費期限または賞味期限を過ぎた食品は受取先に譲渡しない”
と明記しています。さらに、「フードバンク管理団体」の責務として、
”保管中の食品が消費期限又は賞味期限を過ぎた場合や、汚損又は破損等により食品衛生上の問題が生じた食品は、受取先に対して譲渡をしないこととする。また、これらの食品は明確に区別できるようにし、汚液又は汚臭がもれないようにするとともに、廃棄物として引渡し、処理の委託等を行う場合には、市町村等の定めるルールを遵守するものとする。”
となっています。つまり、フードバンクが主体的に行った実施行為において、市役所職員が手渡したために、市の対応は不適切と言われています。本来ならば、日程が最も直近の食品の期限日(つまり手渡す前日)に、フードバンクが回収すべきです。なぜなら、この手引きは、「フードバンク」が、譲渡をしないように廃棄物として引き渡すよう書かれているからです。男性が1日遅れた場合などの連絡調整がどうなっていたのかは現在も不明です。
しかし、行政職員が、手渡すことによって、国や弁護士が「不適切だ」とコメントしたのも当然です。もし、行政主体であったならば、「保管中の食品が消費期限又は賞味期限を過ぎた場合や、汚損又は破損等により食品衛生上の問題が生じた食品は、受取先に対して譲渡をしないこととする。」を守る必要があります。つまりこのような問題は発生する可能性は低いのです。今回の問題は、このような法制度と、現場が日々こなしてきた運用との間に、深い溝があることなのです。これを次節から説明します。
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- 2. なぜ食料を渡せないのか──「収入認定」という論理
- 3. 「阿吽の呼吸」──現場が背負ってきたもの
- 4. 多面的に考える──三つの立場から
- 5. 報道とSNS、そして転換点
- おわりに──守るべきは「運用」ではなく「制度」
- 参考資料
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